1854年(安政元年)日露和親条約締結のため、下田へやって来たプチャーチン率いるロシア軍艦ディアナ号は、安政東海地震による津波で大破し、現富士市沖に沈没した。帰る船を失ったディアナ号乗組員は、戸田の船大工たちと力を合わせ戸田で代船を建造した。これが日本初本格的帆船ヘダ号である。ヘダ号建造に従事した戸田の船大工たちは、各地の造船所に招かれ幕末から明治にかけて日本近代造船の発展の担い手となった。